私は去る2024年5月20日、国立弓削商船高等専門学校(弓削商船)で壬生優子先生が担当する「法学」の講義に、1回限りの「ゲスト講師」として登壇させていただきました。「憲法」を巡る最近の議論では、いくつかの論点が注目されていますが、それらのなかでも私の担当する講義では「知る権利」をテーマとして設定していただきました。私は学生時代に社会科学を専攻しており、国民国家形成期における印刷技術の影響やインターネット登場による地球規模での多面的な変化に関心を持ちつづけ、また一時期、新聞記者として勤務していた時期もあって、広い意味での「メディア論」に関心があったことから、声をかけていただきました。
「知る権利」をテーマとした講義を、「Ⅰ 憲法および情報公開法と『知る権利』」、「Ⅱ 意見公募手続(パブリックコメント)と説明責任(アカウンタビリティ)」、「Ⅲ 次代のメディア『シビック・メディア』」の3つのパートで構成しました。「Ⅰ」と「Ⅱ」のパートでは、日本における国および地方自治体による情報公開分野での法整備の流れとその背景を整理しました。「Ⅲ」では、「知る権利」を巡る新たな潮流の具体的な事例として、アメリカのシカゴに登場した「シビック・メディア」という活動を紹介しました(NHK文研フォーラム2023 「市民力」を活かすジャーナリズムの挑戦)。
「シビック・メディア」を運営する中心人物は、アメリカのジャーナリズムの現状と自分たちの活動について、次のように説明します。「イデオロギーや大文字の『正義』を語らなくなったアメリカのジャーナリズムでは、不利益を被っている『当事者』を主人公にした『物語』を中心とした記事の構造となっている。だが、当事者自身にとってそのような物語には何の価値もなく、日々の生活に必要な情報こそを求めている。既存ジャーナリズムがそのニーズに応えてくれない以上、自分たちで情報を取りに行くしかない。そのために、地方政府の議会や会合を原則的にはすべて傍聴し、それをテキストや動画などにして、その情報を必要とする人たちにインターネットを通して届けている。」アメリカは日本よりも、社会の分断が、階層や人種などによって対立し相互理解不能なレベルにまで進行し(そもそも日本やイギリス英語で言う『社会』が現代のアメリカにもあったのか、から問う必要もありそうですが)、貧困層のボリュームが肥大化しつつあって、まずは「明日を生き延びるため」の切実な要請として「シビック・メディア」の活動は登場した、という印象を受けています。そのため「シビック・メディア」を、「新聞などの『オールド・メディア』に替わるべき、未来のジャーナリズムを先取りした活動である」と、無批判に日本でもモデルとすることはできません。ですが日本でも「オールド・メディア」が、これまで果たしていた役割を果たせなくなりつつあることは明白であって、では今後の日本国民の「知る権利」担保を、どのようなメディアに託し得るのか、ということについて議論し構想していく時期に来ています。また、東京に代表される都市部と、高齢化と人口減少が急速に進み、あらゆる面での社会機能の減退が避けられない地方との乖離はますます大きくなり、そのような地方で求められるメディアについても地方コミュニティに住む住民自身が、自分の住むコミュニティの現状に基づいて構想していく時期にあると、私は考えています。
みちしおプロジェクト 平田浩司